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新潟地方裁判所 昭和32年(レ)34号 判決 1957年12月09日

控訴人

池田与三郎

被控訴人

伊藤吉太郎

主文

原判決中控訴人の敗訴部分をつぎのとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し金三万八千三百七円とこれに対する昭和三十一年二月十三日から右支払ずみにいたるまで

年五分の割合による金員の支払をせよ。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審ともこれを三分し、その一を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。

事実

(省略)

理由

原審における被控訴人の供述によつて真正に成立したものと認める甲第二号証、成立に争いのない同第四号証、真正に成立したものと認める同第八号証の一ないし三、原審ならびに当審における被控訴人本人および控訴人本人の各供述(ただし、控訴人の右各供述中後記信用しない部分を除く。)を総合すると、被控訴人は桶職業を営み、また控訴人は農業を営んでいるものであつて、それぞれ隣屋敷に居住するものであるが(もつとも、以上の事実は当事者間に争いがない。)、被控訴人の現在居住する宅地八十二坪は、控訴人の現在居住する宅地百四十二坪とともに、いずれももと同所同番地宅地三百九十四坪の一部として控訴人の父与吾の所有に属していたが、右与吾の死亡と同時に控訴人の兄喜作が相続によつて同人からその所有権を承継取得し、ついで右喜作の死亡と同時にその子基次が相続によつて同人からその所有権を承継取得したものであるが、右基次は、知合いの見田春男の債務のため前記宅地三百九十四坪について新潟相互銀行に対して抵当権を設定したところ、結局、右の抵当権が実行され、土屋某がこれを競落するにいたつたので、被控訴人は、昭和二十八年十二月ごろ右宅地のうち前記自己の居住する宅地八十二坪を、また、控訴人の妻タカは、そのころ自己名義で控訴人の居住する宅地百四十二坪をそれぞれ右土屋から買いうけてその所有権を取権するにいたつたところ、それ以来控訴人は、右被控訴人の買いうけた宅地の一部はもともと控訴人において現在居住の宅地とともに父与吾から譲りうけた宅地であるとか、または、右基次から贈与をうけた宅地であるとかと称して、被控訴人に対し、あるいは仕事の妨害その他種種のいやがらせ等をおこなつたり、あるいはまた昭和三十年十月ごろには自己の居住する前記宅地内から隣地である被控訴人居住の前記宅地の一部(約三坪位)へかけて馬小屋を建設したりしたこと等のため、とかく右両者間の折合がよくなかつたところ、たまたま昭和三十年十一月四日午前十時過ぎころ、被控訴人は、長男の妻カツミが控訴人のため洗たく物を汚されたことが原因で同人と口論するにいたつたことを聞き知つたので、早速前記馬小屋を建設作業中であつた控訴人のもとにいたり、右の非を責めるとともに、さらに前記馬小屋の建設方を難詰したところ、口論となり、その結果控訴人は、矢庭に携えていた金槌を振つて被控訴人の頭部を殴打し、よつて同人に対し加療二週間を要した左側頭部挫滅創を与えたことが認められる。そして、右認定に反する原審ならびに当審における控訴人の各供述部分はいずれも信用し難く、他に右認定をくつがえすに足りる証拠は何もない。

そうだとすると、控訴人は、右の加害行為によつて被控訴人のこうむつた有形、無形の損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。

よつて、その損害額について考察する。

(一)  まず、原審における被控訴人本人の供述によつて真正に成立したものと認める甲第一号証に被控訴人本人の同供述をてらし合わせると、被控訴人は、前記受傷の結果、昭和三十年十一月四日から同月十一日までの八日間新潟県立新発田二ノ丸病院に入院し、入院料、手術料および処置料として同病院に合計金千五百七円を支払い、これと同額の損害をこうむつたことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

なお、前記各証拠に徴すると、被控訴人は、右入院中における自己の賄料として同病院に合計金千二百八十八円を支払つたことが認められるけれども、後に認定するような被控訴人の職業、地位、および財産その他等にてらして考えるときは、右程度の賄料(一日約金百六十円余)は、被控訴人の普通健康体の場合における食事費とくらべて大差のないことが推認できるのであつて、他に右賄料の支出が被控訴人の療養のため普通健康体の場合における食事費の限度をこえて必要欠くことのできなかつたものであることを認めるに足りる資料は全然ないから、右賄料の支出をもつて前記受傷によつて被控訴人のこうむつた損害と認めるわけにはいかないのである。

(二)  つぎに、前記甲第二号証、同第四号証、および原審における被控訴人本人の供述を総合すると、被控訴人は、桶職業を営むものであるところ、前記受傷のため、同三十年十一月四日から少くとも二週間右の仕事に従事することができなかつたことがうかがわれ、また、原審証人斎藤実の証言によると、被控訴人の新発田市内における桶職としての技能は上位であつて、前記受傷当時の同市内における桶職の手間賃は、上位の技能者で一日金五百円(ただし、食事自弁)であつたことが認められる(他に右認定を左右するに足りる証拠はない。)から、以上認定の事実からすると、被控訴人は、前記受傷によつて少くとも一日金五百円の割合による二週間分合計金七千円の得べかりし利益を喪失し、これと同額の損害をこうむつたものといわなければならない。

(三)  またつぎに、原審証人伊藤ツギの証言によると、同人は、被控訴人の妻として肩書地で農業に従事してきたものであつて、その所得はすべて世帯主である被控訴人に帰属せしめていたが、被控訴人の前記受傷のため、同人の入院中同人に付き添い看護をしたためその期間(八日間)右農業に従事することができなかつたこと、および農業労務者の当時の手間賃は、少くとも一日金二百五十円であつたことがそれぞれ認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。ところで、真正に成立したものと推認する新発田公共職業安定所長作成名義の「付添婦料金照会について」と題する書面に徴すると、前記受傷当時における入院患者の付添婦の料金は、伝染病以外の普通病の場合においては少くとも一日金百七十五円(ただし、食事別)であつたことが認められるから、以上認定の事実からすると、被控訴人は、前記受傷の結果、少くとも世帯主として農業労務者の一日の手間賃額のうち、前記付添婦の一日の料金額百七十五円の限度における割合による八日分合計金千四百円の得べかりし利益を喪失し、これと同額の損害をこうむつたものといわなければならない。

(四)  さらにつぎに、慰藉料の点について考えると、原審における証人齊藤実および被控訴人本人の各供述によると、被控訴人は、前記受傷当時約五十三才であつて、新発田市内在住の桶職としては上位の技能を有するものであり、その財産としては建坪二十八坪の二階建住家一棟とその敷地二十八坪および田地約六反余等を所有し、普通の生活を送つてきたものであることが認められ、また、原審における控訴人の供述によると、控訴人は、前記加害当時約五十一才であつて、事実上住家および宅地百四十二坪を有するほか、田地約一町八反を所有して農業を営み、年間少くとも十八万円の所得を有するものであることが認められ、以上認定の事実に前記加害行為の発生原因、および前記受傷の部位、程度その他本件にあらわれた諸般の事情を参酌するときは、被控訴人が前記受傷の結果こうむつた精神的苦痛に対する慰藉料としては、当裁判所もまた原裁判所と同じく金三万円をもつて相当であると認める。

果してそうだとすると、控訴人は、被控訴人に対し、右受傷の結果同人のこうむつた前記(一)の損害額金千五百七円、同(二)の損害額のうち被控訴人の請求にかかる一日金四百円の割合による二週間分合計金五千六百円、同(三)の損害額のうち同じく被控訴人の請求にかかる一日金百五十円の割合による八日分合計金千二百円、および同(四)の慰藉料額金三万円、以上合計金三万八千三百七円とこれに対する前記不法行為の後であつて本件訴状が控訴人に送達された翌日であることが記録上明らかな昭和三十一年二月十三日から右支払ずみにいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があることは明らかであるから、被控訴人の本件請求は右認定の限度において正当として認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべく、右の限度をこえて被控訴人の請求を認容した原判決はその部分につき一部取消を免れない。

よつて、民事訴訟法第三百八十六条の規定によつて原判決中控訴人の敗訴部分を変更し、被控訴人の請求を右の限度において認容し、その余の請求を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担について同法第九十六条、第九十二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 三和田大士 唐松寛 岡田光了)

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